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Column 09 | 2021.03.10
自分にも「年輪」のようなものがあるのかもしれない。



木の年輪をみれば、木の年齢がわかる。

これは年輪というのが一年に一本づつ刻まれていくものだからである。

新しい年輪は外側に外側に形成されていくわけだが、

四季がはっきりしている日本では、年輪の色の薄いところは春から夏にかけて作られ、色の濃いところは夏から秋にかけて作られ、冬には年輪の成長は止まる。

人の手が入り丁寧に育てられてきた木は年輪も細かくなり、他と比べて固く締まっており、年輪の見た目も均等に揃っていてとても美しい。

この価値は市場にもしっかりと反映され「材価」も高くなる。

日本有数の優良材を生産する奈良県吉野の原木市場には、この手の材がごろごろと転がっていて、その年輪を数えると200個(=200歳)などが普通だ。

はじめてその光景を見た時私は大変驚いた。



特に知識も無ければ「木は太ければいい」と思いがちだが「木材」として見るとそれは間違っている場合も少なくない。

太く立っている木の中には、急激に成長し若くしてそのサイズになった木もあり、年輪の幅はバラバラで十分な管理をされてこなかったものも結構ある。

このような木からとれる材というのは、年輪が詰まっているものと比較すると市場価値は大きく下がってしまう。

どんなに太く実っていても、伐ればそれが本物かどうかはすぐに分かる。

木は嘘をつかないのだ。

こういうこともあり、私は木を見る度に「本当のことは表層だけでは分からない」ということを度々思い直す。

物事の本当のことを分かりたければ中身までしっかり見るようにしなければ、いつまで経っても本当のことが分かることはないのだろう。



人間の成長というのは、年輪のように目に見える形で残っていくものではない。

しかし、着実に1日1日の歩みが今を作っておりこの先の未来を作っている。

年輪をみていると、たくさん成長した年もあれば、ゆっくりとしか成長しなかった年があることが分かる。

そういう意味では人間も木とまったく同じなのだろう。

未来には、できることならば目の詰まった良質な木のような人間になりたいが、そう思った通りにはいかないのが人生というものでもある。

でも「自分にも年輪のようなものがあるのかもしれない」とイメージしてみると、今までとは少し違った感覚になるから面白い。

写真・文:tanaka shingo







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