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Column 05 | 2020.11.10
「情緒」が人生を豊かにする。



私は森が好きでその中によく足を踏み入れる。

木々の間から差し込む光は、森の中でしか感じることのできない特別な光だ。

ご存知のとおり、この光のことを「木漏れ日」という。

木漏れ日という特別な光は、思うに、心身に栄養を与えてくれ、直射日光よりも清く美しい。同じ様に感じる人もいるのではないだろうか。

木漏れ日と聞けば、日本人であれば「あの事か!」と直感的に理解しイメージができると思う。ところが、木漏れ日は「英語」で一言で言い表すことができない。

英語にすると「sunlight that filters through the leaves of tree.」となり「木々の葉を通過する日光」と「状況の説明」でしか表現することができないのだ。

私は「日本語の美しさ」はこういうところにあると思っている。

日本人は古くから「情緒」という感性を持ち合わせていると言われている。

天才数学者の岡潔は、
「道端に咲く一輪のスミレを美しいと思う気持ち」
こそが「情緒」である、と述べている。

こうした資質を日本人は平等に宿しており、昔の人は、この情緒をうまく使いながら暮らしを豊かにしてきたと聞いたことがある。

きっと誰かの情緒が働き、「木漏れ日」という言葉が生み出されたのだろう。

嬉しさと恥ずかしさが相まってポッと顔が赤くなる状態を「面映ゆい(おもはゆい)」と表現することがある。

これもまた人間の小さな感情の動きや機微を捉えた、日本人特有の「情緒」的感性が働いている言葉の好例と言える。

思うに、情緒は「ポジティブな気持ちの働き」が起点になっている。だからこそ、情緒を働かせるには何かを好きと思う気持ちや愛情が不可欠なのだろう。

そして、目の前にある現象を切り取り、自分なりにその現象を表現してみることが情緒を働かせる一歩目なのかもしれない。

最近の私は、情緒を働かせようとする姿勢こそが、これからの人生を豊かにしてくれるのかもしれない、と思って日々を過ごしている。

それにしても「木漏れ日」という言葉は素敵だ。

「Satoyama」と同様に「Komorebi」として世界に広がり、日本人の情緒に触れる機会が増えればいいなと思う次第である。
写真・文:tanaka shingo







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